カテゴリー別アーカイブ: 越佐近世史

山本幸俊論文集の刊行について

山本幸俊論文刊行会からのご案内を下記に転記します。


山本幸俊論文集の刊行にご協力下さい

  現在、山本幸俊論文集刊行会の会員は、2012年に急逝された山本幸俊氏の論文集を2014年4月の刊行をめざして取り組んでいます。
 山本幸俊氏は、立正大学を卒業後、新潟県内の小学校の教諭となり、その後、新潟県立文書館、上越市史編さん室に勤務され、上越市公文書センター長を勤められました。山本氏は近世初期村落の研究から出発され、研究の後半は資料保存の研究と実践に尽力されました。
 山本氏は越佐歴史資料調査会を立ち上げ、地域に寄り添った資料保存と研究活動を行ってこられました。また、2004年7月の新潟県の水害、同年10月の新潟県中越地震からの資料保存に取り組まれ、新潟歴史資料救済ネットワークの設立に貢献されました。
 山本幸俊氏の研究成果を多くの方々に知っていただきたいと思い、氏の村落と地域資料保存研究の論文を収めた山本幸俊論文集の刊行に向けて鋭意取り組んでいます。刊行には資金が必要です。山本幸俊氏の論文集の刊行にご協力をお願いします。
 2013年10月 
                           山本幸俊論文集刊行会
                                   青木 直己
                                   浅倉 有子
                                   小酒井大悟
                                   白川部達夫
                                   杉本 耕一
                                   田中 洋史
                                   中川 浩宣
                                   長谷川 伸
                                   花岡 公貴
                                   原 直史
                                   福原 圭一
                                   本田 雄二
                                   矢田 俊文
                                   渡部 浩二
                      (刊行会会員は、2013年10月12日現在)

 山本幸俊氏の論文集の刊行にご協力いただける方へのお願い

刊行会としては次のようなご協力をお願いしたいと考えています。
一口一万円を次の口座に振り込んで下さい。一口お送りいただいた方には、出版社の高志書院より、山本幸俊さんの論文集を1冊お送りします。

 〈口座記号番号〉 00580-7-85348
 〈加入者名〉 山本幸俊論文集刊行会

この口座を他金融機関からの振込の受取口座として利用される際は次の内容をご指定ください
銀行名 ゆうちょ銀行 金融機関コード 9900
店名 〇五九(読み ゼロゴキユウ) 店番 059
預金種目 当座       口座番号 0085348

山本幸俊『近世の村落と地域史料保存』
目次
第1部 近世の地域と村
1 貞享・元禄期の家族形態の変化と水呑の形成ー筑波郡山口・小田西町を中心にー
2 近世初期の村落と「土豪」ー常陸国新治郡金田村を中心にー
3 近世初期の論所と裁許ー会津藩を中心にー
4 越後山間地域における村落間相論ー近世前期の変容ー
5 中世末・近世初期の越後の村
6 上杉領国における「村」の形成ー頸城郡京田村を中心にー
第2部 地域史料の保存と研究
1 地域史料の保存と文書館ー新潟県立文書館、史料所在調査の試みー
2 歴史研究者、一歩前へ
3 地方史研究と史料保存ー越佐歴史資料調査会の活動ー
4 平成の市町村合併と公文書等の保存ー新潟県の事例を中心にー
5 学校統廃合と学校アーカイブズの保存ー新潟県の事例を中心にー
6 市民の中の地域史研究

2013.9.5新潟史学会例会案内

新潟大学に集中講義でいらっしゃる朴澤直秀氏を迎えて、新潟史学会例会を開催いたします。朴澤氏は近世仏教史、とくに寺檀制度など寺院をめぐる社会関係について精力的に研究をしてこられ、新潟県内の事例をとりあげた業績もお持ちです。今回は朴澤氏の業績をどのように受けとめるかについての報告をうけ、ご本人にコメントを頂きます。多数のご参加をお待ちします。

日時 2013年9月5日(木)18時~19時30分
会場 新潟大学総合教育研究棟A棟3F 学際交流室
報告 「朴澤直秀氏の業績をどう読むか(仮)」
    原直史(新潟大学)・高橋拓也(新潟大学大学院生)
参考 朴澤直秀『幕藩権力と寺檀制度』(吉川弘文館、2004)

・生協書籍部側の玄関からお入り下さい。また、会場へは2Fまたは4Fの奥の階段からお出で下さい。

・事前の連絡は不要です。ただし遅れて来られる方は、18時を過ぎると玄関が閉まっている可能性がありますので、事前にご連絡ください。

・終了後、大学周辺もしくは内野駅近くで朴澤氏を囲んで懇親会を開催します。参加される方は、8月28日(水)までにご連絡ください。

上記いずれもご連絡は当サイトのメールフォームよりお願いします。

受贈図書2013.8.2

竹田和夫さんから下記図書をご恵贈いただきました。ありがとうございました。

竹田和夫編『歴史のなかの金・銀・銅 鉱山文化の所産』2013年7月刊、勉誠出版

内容目次
竹田和夫「はじめに」
Ⅰ 金・銀・銅をめぐる文化交流史
 八重樫忠郎「武士を育んだ奥州の金」
 飯沼賢司「鉛を食らう「銀の島」―日本の大航海時代の真相」
 岸本美緒「銀のゆくえ―近世の広域的銀流通と中国」
 八百啓介「江戸時代の出島オランダ商館における小判輸出」
 島田竜登「海域アジアにおける日本銅とオランダ東インド会社」
 竹田和夫「佐渡の鉱山知とネットワーク形成―揚水と和算・振矩術」

Ⅱ 日本の鉱山と地域社会―生産・信仰・暮らし
 池田善文「長登銅山と古代社会」
 仲野義文「石見銀山の文化とその基層」
 萩原三雄「中近世の金山と社会・文化」
 原田洋一郎「鉱山とその周辺における地域変容」
 渡部浩二「鉱山絵巻から見る佐渡金銀山」
 齋藤昭「草倉銅山鉱夫の労働態様について」
 鈴木秋彦「鮑食禁忌伝承の変容―鉱物資源生産から俵物生産への転換のなかで」

Ⅲ 日本・アジア・ヨーロッパの鉱山文化―技術・環境・民俗
 黒野弘靖「佐渡の鉱山文化―建築と町並み」
 上田信「中国雲南の鉱山文化―銅都・東川への旅」
 竹田和夫「中世ヨーロッパの鉱山経営・技術革新・宗教」

第1回新発田藩研究会の開催

以前より当サイトでも案内をしていました新発田藩研究会が、7/7に開催されました。当日は雨天にもかかわらず、遠方からのご参加も含め12名が参加し、それなりに充実した会となったのではないかと思っております。当日の報告題目は下記の通りでした。

  • 浅倉有子氏「溝口家の近世・近代の文書・絵図目録」
  • 岩本篤志氏「新発田藩溝口家蔵書目録小考」
  • 原直史「新発田藩領における地域運営体制をめぐる諸論点―安宅俊介氏の近業に学ぶ―」

私の報告は事前の案内とはやや異なり、安宅俊介氏の論文「新発田藩領における地域的入用「万雑」の構造」(『新潟市歴史博物館研究紀要』8、2012年3月)を取り上げて紹介しつつ、万雑や組・村行政をめぐる諸論点を展望したものです。安宅氏の当該論文は、1980年代以降久留島浩氏や志村洋氏などにリードされて深められてきた地域的入用・地域運営体制研究の流れに、新発田藩領の万雑を位置づけた画期的な成果で、今後の地域におけるこうした分野の研究の基礎となるべき重要なものではないかと考えます。

次回研究会は秋以降、年度内にあと1ないし2回開催できればと考えています。具体的な日程等が決まり次第当サイトでもご案内します。

越佐近世史論文紹介5

  • 藤田貞一郎「徳川期近江鋳物師の他国出稼―栗太郡辻村鋳物師の例―」『社会科学』47号、1991年8月
  • 横田冬彦「鋳物師―辻村鋳物師と真継家―」塚田孝編『シリーズ近世の身分的周縁3 職人・親方・仲間』吉川弘文館、2000年8月

上記はいずれも直接越佐地域を対象としたものではなく、しかもやや以前の論文となります。近江国栗太郡辻村(現滋賀県栗東市)から全国に出店した一大鋳物師集団について扱ったものですが、正徳~享保期段階で記録された全国の出店の一覧の中に、新潟の饗場(相場)金右衛門・藤田次郎右衛門と長岡の田中弥惣兵衛の名がみえます。また藤田論文で紹介されている19世紀初めと推測される一覧資料のなかには、長岡の弥惣兵衛は同名跡、新潟では石場(相場誤か)金右衛門跡として土屋忠左衛門、藤田次郎右衛門跡として藤田良平が登場するほか、三条裏館村の田中佐兵衛、村上上長井町の辻村又五郎が、さらに辻村からの出店として記録されています。

辻村鋳物師の広範囲への出店は17世紀半ばの時期から本格化したようですが、その由緒書によれば、大坂の出店がその嚆矢で、「其後新潟、江戸、諸方へ思々に出店す」と伝承されており、新潟への出店にも画期としての位置づけがなされていたように思われます。そもそも東日本への出店の展開は、江戸→関東諸地域の流れの他に、金沢・新潟・酒田・亀田石脇と、日本海海運に沿った展開が見受けられる点も興味深いといえます。

『新潟市史』によれば、天保14(1843)年新潟上知に際しての記録では、小揚町の相場忠兵衛、神明町寺町の市島正次郎のニ家が新潟の鋳物師としてあげられており、相場は後に土屋(どや)と改姓したこと、市島正次郎の株は、もと近江から来住した藤田家のもので、藤田は文政10年(1827)に廃業し、その株が市島栄吉→市島正次郎と譲渡されたこと、等が明らかにされています(『新潟市史』通史編1、1995年3月、p292)

新潟鋳物師についての専論がこれまでどれだけ積み重ねられているか、まだ検討しきれていないのですが、こうした辻村鋳物師の全国的な活動、特に横田氏が注目した真継家の支配を相対化するような動きを前提にして、地域でのあり方をまた同時に位置づけていくことは、重要な論点であろうと思います。

ちなみに越後の鋳物師の中で、越前から来住したとの由緒を伝える高田城下町の鋳物師は、この辻村鋳物師とはまた別系統のものでしょう。この高田の鋳物師について、私は以前に上越市史の資料編と通史編で若干の言及を行いました。そこでは文政~天保にかけて、高田の鋳物師が原料の荷揚げ場をめぐって宿方と争ったとき、真継家の権威を頼ったことを紹介し、これを契機に「高田鋳物師はそれまで交渉のなかった真継家の支配に服することとなった」(『上越市史』資料編4、2001年3月、p24)と述べたのですが、この記述は不正確なものであり、訂正しなければならないと現在では考えています。

もちろん高田鋳物師がこのときに争論を優位に運ぼうとして真継家を頼ったことは事実ですし、それに対し真継家側から、「年頭八朔嘉儀」等への不参を咎められ、以後その励行が命じられたことも事実です。しかし真継家側の記録によれば、寛政11年(1799)から翌年にかけて、高田鋳物師の山岸藤右衛門、吉田七右衛門、山岸彦次右衛門に対して許状が発給されているのでした(笹本正治『真継家と近世の鋳物師』思文閣出版、1996年2月)。そうしてみると、この事態を正確に表現するならば、まったくそれまで交渉がなかったのではなく、既にいちど編成の網にかかったにもかかわらず、そこから離脱しようとした鋳物師たちを、再度捕捉したものということになるでしょう。

いずれにしても地域の鋳物師の側の主体的な動きと、真継家の思惑との交錯という、大枠のとらえ方は間違っていなかったと考えます。そしてこうした事例ともあわせて考えるとき、新潟の鋳物師も含めて、全国的な視点から越佐の職人のあり方をとらえなおしてみることが、今後とも重要になってくるのではないかと考えます。

越佐近世史論文紹介4

  • 鈴木秋彦「新発田十二斎市の成立と展開(一)」『年報新発田学』創刊号、2010年3月
  • 鈴木秋彦「新発田十二斎市の成立と展開(ニ)」『年報新発田学』3号、2012年3月
  • 鈴木秋彦「新発田十二斎市の成立と展開(三)」『年報新発田学』4号、2013年3月

新発田城下町で行われていた十二斎市について多面的に考察した連作。掲載誌の『年報新発田学』は、敬和学園大学が新発田商工会議所の協力のもと運営する「新発田学研究センター」の機関誌ですが、同センターが当初からひとつの目玉として企画実施してきたのが、復活させた新発田十二斎市のイベントです。本論文の筆者である鈴木さんも、その運営に当初から携わってこられたことが、この連作論文執筆の契機となっているようです。

越佐近世史論文紹介3

  • 友田昌宏「幕末期における草莽と諸藩―大野倹次郎とその周辺―」『日本歴史』781号、2013年6月

幕末維新期に「草莽」として活動し、後に長野県令となった大野の思想や行動と、特に米沢藩・新発田藩等諸藩との関係を論じたもの。大野倹次郎は新発田藩領諏訪山新田(現聖籠町)の名主を勤める一方学塾「絆己楼」を営んだ大野恥堂(敬吉)の長男です。

越佐近世史論文紹介2

  • 横山百合子「一九世紀都市社会における地域ヘゲモニーの再編―女髪結・遊女の生存と〈解放〉をめぐって―」『歴史学研究』885号、2011年10月
  • 横山百合子「芸娼妓解放令と遊女―新吉原「かしく」一件史料の紹介をかねて」『東京大学日本史学研究室紀要別冊 近世社会史論叢』2013年4月

上記2点は直接に越佐の近世史を扱った研究ではなく、江戸・東京における遊女などの存在のあり方から、身分制的地域支配のゆくえを論じたものですが、その中で越後出身の遊女の生涯が扱われています。この遊女「かしく」の足跡については、歴史学研究会大会全体会報告をまとめた2011年の論文には、表の形でまとめられていますが、2013年の論文では、史料全文の翻刻とともにより詳しく知ることが出来ます。

これらによれば、彼女の生国は「寄上村」「越後国蒲原郡巻野在は東ゆり上ケ村」「越後巻葛根在上ケ村」等と記載されていますが、これはまさに越後国蒲原郡東ゆり上村(現新潟市西蒲区東汰上)でしょう。同村は史料により「汰上」の漢字表記と「ゆり上」のかな表記が混在しますが、例えば幕府の天保郷帳では「東ゆり上村」となっています。長岡藩領の曽根組に属しますが、同じく代官所が置かれた巻村にも近いため、「巻の在」と表現されることも不自然ではありません。なお「巻葛根在」は、「巻・曽根在」がどこかの段階で転じた可能性もあるでしょう。

「かしく」は幼くしてまず日光例幣使街道の合戦場宿(現栃木市)に売られたことから、遊女としての人生を歩みはじめ、その後品川・千住・深川といった江戸・東京周縁部の遊所を経て、新吉原の遊女になったところ、1872(明治5)年の芸娼妓解放令に逢っています。彼女は遊女奉公からの解放を願い、一方で「人主」の平山政五郎は、彼女の身柄を執拗に拘束しようとするのですが、その平山はかつて自ら深川で営んでいた遊女屋で彼女を受け入れるまでは、彼女は浅草聖天町の寿司屋の下で養女になっていたのだといい、それはその寿司屋の妻が彼女と「同村出生之知り合」であったからだと述べています。

越佐近世史という別の視点からこの「かしく」の生涯をみると、彼女を吉原まで導いたいくつかのネットワークのあり方に思いをはせざるを得ません。

新発田市立図書館の新構想

6月4日付の新潟日報に「新発田駅前に複合施設建設へ」との記事が掲載されました。新発田駅前に市が用地を取得し、図書館を核とした複合施設を2016年度までに建設するという計画を発表したとのことですが、そのうちの目玉となる図書館については、一般図書と児童図書を中心に収蔵し、「現行の市立図書館は、新発田藩の藩政史料など古文書の収蔵に特化し、機能を分ける」と報じられています。

上越市立総合博物館には榊原家文書が一括寄託され、また長岡市では「長岡藩主牧野家史料館」の建設が進んでいるなか、新発田市においても、これを機に藩政史料等の保存利用体制が充実することを大いに期待したいと思います。もちろん大名家文書・藩政史料だけが歴史資料ではないのですが、市町村レベルでの歴史資料の保存利用体制が充実するための、ひとつの牽引役として、がんばっていただけるよう応援していこうと思います。

『近世社会史論叢』の刊行

さる4月に刊行された『東京大学日本史学研究室紀要別冊 近世社会史論叢』を、先日送付していただきました。これは2012年に東京大学を定年退職された吉田伸之先生の学恩を受けた元ゼミ生たちが執筆した記念論集で、私もささやかなものですが越後の近世史に関する論文を寄稿しています。掲載論文一覧は下記の通りです。

Ⅰ 都市と地域社会

  • 岩淵令治「江戸の消防体制と火事場見廻り」
  • 神田由築「近世「芝居町」の社会=空間構造」
  • 後藤雅知「御林と入会秣野―岩槻藩房総分領の御林を事例として」
  • 小林紀子「開港場周辺村々における生麦事件の影響―文久三年、武蔵国都筑郡王禅寺村を事例として」
  • 杉森玲子「近世高野山の山内と珠数屋仲間」
  • 竹ノ内雅人「近世都市上水道をめぐる諸関係―信州飯田町を事例に」
  • 戸森麻衣子「近世前中期幕領陣屋元村の社会構造―陸奥国白川郡塙村を素材として」
  • 牧原成征「かわた村と地域社会―武州下和名と下吉見領」
  • 森下徹「近世後期における萩の町人社会」
  • 横山百合子「芸娼妓解放令と遊女―新吉原「かしく一件」史料の紹介をかねて」

Ⅱ 商人と流通

  • 多和田雅保「小布施市の手前物をめぐって」
  • 永原健彦「江戸の玉子」
  • 原直史「近世越後平野の舟運について―「下条船」経営史料の基礎的考察」
  • 彭浩「長崎唐館の社会構造」
  • 松方冬子「「契約貿易」序説―一八世紀の日蘭本方貿易」
  • 村和明「三井の御所為替御用について」
  • 若山太良「三橋会所を巡る三井越後屋の行動とその背景」

Ⅲ 身分と身分的周縁

  • 荒木裕行「近世後期の御用頼―天保改革期の御用頼取締を中心に」
  • 上田純子「近世後期の武士を考える―萩藩寄組「浦靭負日記」の検討から」
  • 海原亮「江戸の眼病療治―福岡藩医田原養卜「眼目療治帳」を素材として」
  • 小野将「佐藤信淵と神道方吉川家―幕府寺社奉行書「公事吟味留」所収一件史料の再検討」
  • 木村直樹「近世初期上方の政治情報と豊永賢斎」
  • 佐藤雄介「口向役人不正事件と勘定所」
  • 志村洋「村共同体における勧進宗教者―信州諏訪地方を事例に」
  • 武部愛子「寛永寺貸付金をめぐる一考察―幕末期弘前藩上野料物金返済滞一件を事例として」
  • 千葉拓真「近世大名家の養子相続に関する一考察―加賀前田家の養子選定問題と勝興寺」
  • 朴澤直秀「無檀・無本寺寺院の廃寺に関する法令について」
  • 三ツ松誠「「幽界物語」の波紋」

なおお恥ずかしいことですが、本論集に収録された拙稿について、校正時の見落としが数箇所ありました。訂正箇所は以下のとおりとなります。
 p200 下段 23行 ×「ては」→◯「では」
 p201 下段 21行 ×「一一七文」→「二一七文」
 p201 下段 25行 ×「三三三文」→「二貫三三三文」
 p221 上段 22行 ×「登り荷」→◯「上り荷」