田嶋悠佑「織豊大名領国と大身家臣―越後堀領国を事例として―」その他

11月4日に開催された新潟史学会の会場において、『地方史研究』393号(2018年6月)に掲載された標記論文抜刷を、著者の田嶋氏よりご恵与いただきました。ありがとうございます。

同論文は、戦国大名由来の大名権力が近世初期にかけて独立性の高い家臣の存在に苦しめられたのに比して、より堅固であったと思われていた織豊取立大名の権力構造について、決してそれは自明でないことを越後堀氏を事例として明らかにしたものです。

堀氏は急速な「出世」のため多様な家臣団を抱えることとなり、その家臣団の統合は不完全・不安定であり、大身家臣に秀吉政権が直接知行を安堵するなど、直轄地以外の支配に権限が及ばず分権的だったこと、一方慶長5(1600)年の対上杉戦争などを契機として、徳川政権との交渉を背景としてこうした不安定性の排除に向かっていくこと、などを論じています。とりわけ家臣統制をめぐる、統一政権との関係のあり方が、豊臣氏と徳川氏で一変していることが注目されます。

田嶋氏は堀氏を中心とした研究を近年精力的に発表してこられており、その最新のものは上記新潟史学会大会時に会員に配布された『新潟史学』最新号に掲載された下記の論考です

田嶋悠佑「資料紹介 山川登美子記念館所蔵山川家家譜所収文書」(『新潟史学』77号、2018年10月

本論考は資料紹介と銘打っていますが、研究ノートとも言うべき興味深い論点を含むものです。山川家は元来堀秀治・堀直寄に仕え、また村上堀家断絶後小浜酒井家に再仕官して明治維新に至る家ですが、その伝える家譜に、越後時代の史料が多数引用されていることを紹介したものです。いわば二次史料ですが、他の確実な史料と比べても妥当なものが多く、利用価値は十分にあると思われます。また、山川氏は新潟大学図書館にその原本が伝わる堀主膳家とならんで堀直寄のもとで家老と言うべき存在であったにもかかわらず、家譜ではそうした行政的な地位はうかがえず、専ら武功が強調されること、大名家として存続した他の堀一族が作成し幕府作成の家譜等で共有されたいわば堀家の「正史」とは異なる独自の資料を参照し作成されたと思われることなど、この家譜が持つ特徴が指摘されていることは、極めて注目されます。本論考が資料紹介を越えて研究ノートと言いうるものだと述べたのはそのためです。

ちなみに田嶋氏も注目された二代目堀監物の実名の問題に『上越市史』の史料解説で触れたのは私ですが、そのときには既に中沢肇氏らが論じていたことに視野が及んでいませんでした。自分の至らなさを恥じる次第です。

田嶋氏は『新潟史学』において近年もう一つの資料紹介をしています。

田嶋悠佑「資料紹介 北方文化博物館所蔵長尾右門文書」(『新潟史学』75号、2017年11月)

これは北方文化博物館所蔵の五十嵐文庫中に所収される長尾右門文書の紹介です。長尾右門家は村上藩内藤家の家臣家ですが、近世初頭に上杉景勝・最上義光・堀直寄に仕えたことがあると伝えています。田嶋氏は、その原文書および周辺文書から、いわゆる家伝の事実をある程度修正する必要もあることも指摘しています。

田嶋氏はこれ以外にも越後堀氏を中心に複数の論考を発表しています。本サイトでも機会があればまた取りあげたいと思います。